昨今さまざまな企業でも問題視されてる「ブラック企業」。
実際のところ多くが「これだ」という定義付けはあってないようなものであり、国側としてもその辺りを明確にはしてないというのが現実です。
今回は少しシリアスなテーマとなりますが、運送会社でも問題視されてるブラック企業の現実をホワイト企業を含めランキング別に見ていきます。
そこから見えてくるブラック企業であった「いじめの現状」や、そのような「やばい会社に入社してしまった時の対処法」などを調べていきます。
運送会社のブラックランキング一覧
これから紹介していく一覧はあくまで噂や口コミなどで挙げられた運送会社をランキング別に並べています。
1位 ヤマト運輸
2位 佐川急便
3位 西濃運輸
4位 福山通運
5位 日本通運
このように5位まで挙げた各運送会社はあくまで個人的な意見がもとであり、ここに挙げられてる5社すべてにも素晴らしい長所があり、世間の評価も高いとされております。
ただ「それぞれ個人的な見解」という意味でこの5社に共通してるのは、
●拘束時間も多く激務である
●サービス残業がある
●年功序列が定着しており評価がされにくい環境である
●縦社会からのパワハラもある
●給与水準が安定しずらい
●キツい肉体労働から出る理不尽感
簡単な事柄だけでもこれだけあり人が持つ感情というのは十人十色、まだまだ言い出すとキリがないほど出てきます。
例え統計として出た数字が大多数であっても、それらは「現代における情報社会としての一現象にしか過ぎない」とも言えます。
運送会社のホワイト企業ランキングはどこ?
「長きにわたる労働時間の恒常化」や「社内での社員に対するハラスメント」、「残業代や各手当の未払い」など結果として入れ替わりの激しい会社になり、実状としてもこのような問題は運送会社においても多数報告されております。
ただそれは運送会社を含めすべての企業がブラックという訳ではなく、国が定めた労働基準法に正しく則り「ホワイト」として運営してる企業も多数存在します。
次にその多数あるホワイト企業の中で最も多く名が挙げられた運送会社として、倉庫業なども含めランキング別に3社を見てみます。
1位 上組(兵庫県)
2位 キムラユニティー(愛知県)
3位 三菱倉庫 (東京都)
この3社に共通している事としては平均勤続年数が14~18年とされ、20年には満たないものの殆どの従業員では比較的安定した勤務年数としても定評があります。
年収についても3社とも共通するのが「やや多めの額」であり、さらにその年収は3社とも「上昇傾向」となってます。
運送会社のいじめの現状とは
ドライバーの場合であれば日中のほとんどが基本一人ぼっちの運転業務であり、あまり人間関係のもつれなどは事務職と比べれば少ない印象となってます。
ただそれ故に気楽な性分があだとなり、コミュニケーション不足なところが誤解を招く結果ともいわれてます。
「運送会社内でのいじめ」といっても他の会社同様にさまざまなケースで起こり得ますが、よく聞かれるものとしては「本人直接ではなく間接的」に「自ら退職するよう仕向ける嫌がらせ行為」が最も多いとして報告を受けてるようです。
男女問わず一見するだけでは判って貰えない様な嫌がらせも「本人にとって耐え難い思い」をさせられたのであれば、それは紛れもなく「いじめ」となります。
ただ運送業界においても「陰湿極まりの無いいじめ行為」など、悲しい事ですが現実問題としては今後も無くなるとは思えません。
やばい会社に入社した時の対処法
この場合での結論から言うと「即退職」正直これが一番の対処方法となります。
ただ一番の対処方法といってもそれがすべての人に該当しないのは言うまでも無く、各々の生活事情というのも大きく関わってくるため実際には簡単に辞めれないものです。
ですが冷静に考えてみて下さい、例えばそのやばい会社というのが運送会社であり、そこに「体が資本のドライバー」として勤務されてるのであれば尚更その資本となる体を自身で守らなければなりません。
法律や企業におかれたそれぞれのガイドラインによってある程度は「守られてる気でいれる制度」というのはあれど、まずは「自分の身は自分で守る」という事から入りましょう。
それが例え肉体労働でなくとも結局は体が資本となり、結果としては「体や精神面が健康であればすべてはやり直しが利く」という事になり得ます。
まとめ
今回のテーマでもある運送会社のブラック・ホワイト企業についての判断基準はあくまで個人の価値観からくる情報にしか過ぎず、信憑性としては怪しい情報も多数あるのも事実。
でもって実際には「そんなにひどい会社という訳ではなかった」というのも少なからず報告されております。
ブラックやいじめ問題などの定義付けは非常に難しく、どこで線引きしていいのか分からないものですが「蔓延る情報」のみに惑わされるのではなく、自身の体験こそが「揺るぎない真実」であると言えるでしょう。